かくいう僕も、仕事現場で人を動かすことの難しさに頭を悩ませてきた身である。
いかにして人の心を掴み、行動を促すか。
その答えを求めて、多くの書籍を読み込んできた。
そんな折、一人の男の言葉が僕の心に深く刻まれることとなった。
その男の名は、サイモン・シネック。
彼の唱える「ゴールデンサークル」という概念は、まさに目から鱗が落ちる思いであった。
心の奥底に眠る「なぜ」を呼び覚ます
シネックの説く「ゴールデンサークル」とは、三つの同心円からなる図である。
最も外側の円が「What(何を)」、中間の円が「How(どのように)」、そして中心の円が「Why(なぜ)」を表している。
多くの人や組織は、外側から内側へと進むことが常。
すなわち、「何を」提供するかを先に述べ、次いで「どのように」それを行うか、最後に「なぜ」そうするのかを説明する。
しかし、真に人の心を動かし、行動を促すリーダーは、この順序を逆転させるというのだ。
「なぜ」から始まり、「どのように」を経て、最後に「何を」へと至る。
この順序こそが、人の心に響き、行動を引き出す力を持つという。
これは、スティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』における「インサイドアウト」の原則とも深く結びついているように感じる。
コヴィーは、人間の真の変革は内面から始まるべきだと説く。
外的な環境や出来事に振り回されるのではなく、自分の内側、つまり価値観や信念、原則に基づいて行動することが重要だと述べている。
「インサイドアウト」とは、内なる「Why(なぜ)」を探求し、それを軸に行動を組み立てることだ。
自分の価値観や信念を明確にし、それに基づいて「どのように」行動するかを決め、最後に「何を」達成するかを定める。
このプロセスにより、行動や決断が一貫性を持ち、真の成果を生むことができる。
例えば、健康を改善したいと考えるとき、外見や体重の数字にとらわれるのではなく、まず自分がなぜ健康でありたいのか、その根本的な理由を考えることから始める。
次に、その理由に基づいて、どのような方法で健康を維持するかを考え、最終的に具体的な行動や目標を設定する。
こうした「なぜ」から始まるアプローチは、短期的な成果だけでなく、長期的な持続可能な変化をもたらす。
「なぜ」から語ることで、相手の心の琴線に触れることができるのかもしれない。
脳の仕組みが物語る真理
シネックの説は、単なる思いつきではない。
人間の脳の構造に基づいた、科学的な裏付けを持つものなのだ。
人間の脳は、大きく三つの部分に分かれている。
最も外側にある新皮質は、理性的・分析的思考を司る。
そして、その内側にある大脳辺縁系は、感情や行動、意思決定を担当する。
この構造が、まさにゴールデンサークルと対応しているのだという。
新皮質は「What」に対応し、言語を理解し、情報を処理する。
一方、大脳辺縁系は「Why」と「How」に対応し、感情や直感的な判断を行う。
ここが重要なのだ。
大脳辺縁系には言語能力がない。
つまり、「なぜ」から語ることで、言葉を介さずに直接、感情や行動を司る脳の部分に訴えかけることができるのだ。
例えば、子供に新しい習い事を始める理由を説明するとき。
「新皮質」に訴えかけるためには、「この習い事をすることで数学の成績が上がる」とか、「将来の役に立つスキルが身につく」というように具体的な事実を伝えるのが効果的だ。
しかし、「大脳辺縁系」に訴えるには、「この習い事を通じて新しい友達ができて楽しい思い出が増える」とか、「自分の可能性を広げる素晴らしい経験になる」というように、感情に訴える理由を伝える方が効果的である。
また、企業が新製品を市場に投入する際にも同じことが言える。
消費者に対して新製品の性能や価格などの「What」を強調することも重要。
だが、「この製品がどのようにあなたの生活をより便利に、楽しくしてくれるか」といった「Why」に焦点を当てたメッセージを伝えることで、消費者の心に深く響き、行動を引き起こすことができる。
志の力、その光と影
シネックは、ライト兄弟とサミュエル・ピアポント・ラングレーの例を挙げて、「なぜ」の力を説明する。
ラングレーは、豊富な資金と優秀な人材を擁していた。
しかし、彼の目的は富と名声を得ることだった。
一方、ライト兄弟は資金も乏しく、高等教育も受けていなかった。
しかし、彼らには「飛行機が世界を変える」という強い信念があった。
結果は明白だ。
ライト兄弟が飛行機の発明に成功し、ラングレーは失敗に終わった。
「なぜ」の力が、資金や人材の差を覆したのだ。
この話を聞いて、僕は深く考え込んだ。
確かに、強い信念は人を動かす大きな力となる。
しかし、それは諸刃の剣でもある。
信念が強すぎれば、他者の意見に耳を貸さなくなり、独善的になる危険性もある。
また、「なぜ」を重視するあまり、現実的な「何を」や「どのように」を疎かにしては本末転倒だ。
そう考えると、ゴールデンサークルの概念は、バランスの取れた使い方が求められるのだろう。
「なぜ」を中心に据えつつも、「どのように」や「何を」も等しく重要視する。
あくまでも「Whyから始めよ!」ということなのかもしれない。
人を動かすことの難しさ、リーダーシップの重要性。
これらの問題に、簡単な答えはないのだろう。
シネックの理論は確かに魅力的だが、それを実践するには多くの努力と経験が必要だ。
時に挫折し、諦めたくなることもあるだろう。
しかし、その先にある可能性を信じて、一歩ずつ前に進んでいきたい。
それこそが、シネックの言う「なぜ」の力を信じることなのかもしれない。
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